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私が住む地域には昔、太田道灌という武将が居て有名な逸話が残されています。太田道灌は永享4年(1432年)扇谷上杉氏の家宰(かさい)を務めた太田資清の子として生まれました。文武両道の優れた武将で、江戸城(千代田城)は太田道灌が1457年に築城し、江戸時代には徳川将軍家の居城と成り現在は天皇の皇居に成っています。その太田道灌の逸話の1つに「山吹伝説」がありご紹介致します。太田道灌がある日のこと鷹狩りに出かけました。急なにわか雨に遭い帰る途中在った農家に立ち寄り蓑を借りようと頼みました。しかし娘は蓑ではなく山吹の花が咲いた一枝を差し出してきたのです。太田道灌は娘の意図が理解できず、蓑を借りようとしたのに花を出されと腹を立て帰宅しました。この話を家臣にしたところ、家臣は「それは兼明親王(平安時代・914年生)の歌を掛けたもので、山吹は花こそ美しいが実はならない。つまり『実のない』を『蓑ない』に掛け『貸せる蓑がない』という遠回しにお詫びを表した行為であったと教えを受けたのでしたられた。兼明親王の歌は「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(『後拾遺和歌集』)「七重八重(ななえやえ)
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